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シェフ紹介

松井 基
Motoi Matsui

飲食店の楽しさを初めて知ったのは高校1年生。
当時バイトした穂高の蕎麦屋。
蕎麦職人になれと言われるくらい3年間良く働きました。

高校卒業後に松本市の
ホテルブエナビスタの1期生として就職する。
そこでバーテンダーの仕事に魅せられ、
バーテンダーを目指して日々精進する
(知らないお酒を飲みまくる)。
ホテルバーメンズの試験に合格しバーテンダーに。

その時期に、自分のお店「バー」やりたい、、、
やろう!と決意することに。当時22歳。
絶対に29歳で起業して、
30歳の誕生日には自分のお店でシャンパンを
飲んで自分をお祝いしようと心に決める。

当時のバーはおつまみが乾き物中心で、
自分のお店のバーはもっと料理
特に「地中海っぽい料理」を出したいと思い、
イタリアンを勉強しようと探し始める。

そこで、松本の地中海料理セロニカに出会い、
働かせていただきき、基礎、料理の世界を知って行く。

勉強をしていくうちに大阪にある
イタリア料理ポンテベッキオの存在を知る。

雑誌で見るポンテベッキオの料理は全て美味しそうだし、
(失礼ですが…)他のイタリア料理のお店とは
何かが違っていて、このお店で働きたいと強く思う。

大阪まで行きポンテベッキオで食事をした。
あまりの美味さにカミナリに打たれた感じになった。

会計を済ました後に、
この店で働かしてくださいと頭を下げていた。

25歳からポンテベッキオで働く事になるのだが、
厨房は活気に満ちて、イタリア語が飛び交い
オーダーシートもイタリア語で
カルチャーショックを受けると同時に、
嬉しい気持ちが凄かった。

すぐに本屋に行って
イタリア料理事典などを買い日々勉強⇄仕事を繰り返す。
働き始めの約1年は人生で1番キツく、体重も15キロ痩せた。

だけど楽しさ、嬉しさのが強かった。

1店舗だったポンテベッキオが
2号店モードディポンテベッキオを
出店することになり、シェフとして勤務する。
数年後、松本に帰り松本駅前に自分のお店、
「トラットリアジラソーレ」を29歳にオープンする。

起業から10年目に
オステリアヴァンヴィーノをオープン(現在は閉店)
15年目に駅ビルにカンポディジラソーレオープンした。
20年目に本店を巾上に移転。

2021年5月松本市井上百貨店2階と
山形村アイシティ井上に
イタリアンカフェジラソーレを出店。

好きな言葉は
「幸福というものは、一人では決して味わえない」